テキサス・チェーンソー・ビギニング

若き日のレザーフェイスがチェーンソーで人間をブッた切って殺しまくる爽快大作。まさに映画とはかくあるべきである。
ビギニングと銘打たれていてレザーフェイスの生い立ちなどが語られてはいるが、前作にあたる「テキサス・チェーンソー」とのつながりはあまり感じられないので実質的には「悪魔のいけにえ」の2度目(厳密には3度目?4度目?あれ?)のリメイクに近いと思う。「悪魔のいけにえ」のリメイクとして見ると、今まで作られた中でも出来がいいほうなんじゃないの?個人的主観だけど。ベトナム戦争とか暴走族とか、70年代風要素がいやというほど詰め込まれていてミスター70年代の異名をもつわたしとしては感涙を越えて噴き出してしまう。そこまで70年代か!そこまでしないと70年代とわかってもらえないのか!頼りになる助っ人キャラとして登場したハーレー乗りの兄ちゃんが豪快にチェーンソーで体をブッた切られる様はなかなか見ごたえがある。
さんざんいじめられた被害者側の人が逆襲に転じる気分爽快な場面があるのはこれ系の映画としてはけっこう珍しいかもしれない。ボコボコにされるのはレザーの後ろ盾で偉そうにしているオヤジというのがポイント。最強レザー様は負けない。
レザーフェイスが「顔面に傷害のある人」という設定はどうなんだろうか。「クライモリ」なんかもだが欧米ではそういうことに対してまだわりとおおらかなんだろうか?
爆笑度 ☆☆☆☆
バイオレンス度 ☆☆☆☆
発狂度 ☆☆☆☆
怪奇度 ☆☆☆
男泣き度 ☆☆☆

シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ

ケインがダイナミックに人を殺しまくって目ん玉をくりぬくダイナミック・アクション巨編。映画とはこうでなくてはいかん。映画とはこうあるべきだ。
つーかまあ出来は水準以上ではあるんだけどケインがケインにしか見えないのはある意味この映画の最大の弱点というか。というかケインにしか見えないというより、単なる大きい人にしか見えないというか。レザーフェイスやジェイソンやピエロや案山子男に比べると、いかにケインといえどもほぼノーメイクでは単なる体の大きい貧乏人にしか見えなくてキャラがいまいち弱い。ケインの表情の多彩さについて監督がメイキングで絶賛していたが、確かにそれはそうだがホラー映画の殺人マシーンだと逆に多彩な表情が見えると恐怖感が薄れるということも。「ジェイコブはジェイソンやフレディと違って、生きた人間だから怖いんだ」とケインが語っていたがそれは若干解釈のずれというか、いまどきホラー映画に恐怖を求めている人がいるのかという話で。いやいるのか。おれが狂っているだけの話か。
監督はポルノ映画→MTV出身の人で映像はいかにもMTVっぽいけど悪くはない。タイトルにもなっている「肉鉤」はインパクト抜群の新兵器だが劇中では2回くらいしか使わないのが残念。最初の方で捕まった女の子が最後まで生き残るとか、どうでもよさそうな奴が最後の方まで生き残るとか、重要そうな人が最初の方でいきなり殺されるとか展開もけっこう凝っている。
最後ケイン(ジェイコブ)が相当豪快でダイナミックな死にざまを見せるし、生き残り連中の会話もなんかいい。最後の最後まで楽しませてくれる力作。続編で生き返って本物の怪物化したケイン(ジェイコブ)の暴れ方が今から楽しみかもしれない。
あと特典映像でケインのWWE登場時の映像が見れるのはありがたいサービスだ。ありがたいありがたい。
爆笑度 ☆☆☆
バイオレンス度 ☆☆☆☆☆
発狂度 ☆☆☆
怪奇度 ☆☆☆☆
男泣き度 ☆☆☆

デスバーガー

ドルゲ魔人のようなピエロがバカどもを豪快にブッ殺しまくる痛快アクション巨編。やはり、映画とはこうでなくてはいかん。このピエロは「デスバーガー」(原題・ドライブスルー)というタイトルから想像できるように、映画内の架空の(多分)ハンバーガーショップ「ヘラ・バーガー」のマスコットキャラクターのピエロであり、差し障りがあるので架空のキャラにしてあるが要はドナルド・マクドナルドと思っていただいて差支えないと思われる。自分はドクター秩父山のピエロを思い出した。
ストーリー自体は非常に適当で作中の謎のようなものなどもほとんどはっきりしないまま終わってしまうがまあこれは言ってみればシンプソンズみたいな話だし別に腹はたたない。シンプソンズとかサウスパークとか悪質な一連のそれ系のあれが好きな人なら気に入る映画だと思う。どうでもいいようなキャラ一人一人のキャラの立ち方がすごいというか。それ系のギャグが好きな人の琴線に触れること間違いなしというか。
殺人ピエロの殺人技も顔面フレンチフライ、電子レンジで頭部爆破、居合切りのように斧で人間まっぷたつなどバリエーション豊かで久々にやる気の感じられる新殺人マシーン登場といった風情だ。見た目と言動がかっこいいのもいい。登場するとBGMがデスメタルになるのもいい。
地雷くさいので見ていなかったという人には自信を持って「見ろ」とすすめられる快作。観客置き去りの謎ほったらかしぶりをある種のギャグとして容認できる資質は必要かもしれないが。まあこれの場合はギャグでいいんじゃないでしょうか。
「黙れ、クソガキ」「死んでみるか?」など字幕もセンスがいいと思う。あと、なんとなく70年代懐古の雰囲気が漂うのは最近のホラー全体の流れ?
爆笑度 ☆☆☆☆☆
バイオレンス度 ☆☆☆☆
発狂度 ☆☆☆☆
怪奇度 ☆☆☆☆☆
男泣き度 ☆☆

案山子男オン・ザ・ビーチ

原題が「スケアクロウ・ゴーン・ワイルド」という、ザンディグの入場テーマ曲として有名なスキッド・ロウの名曲を思い起こさせるものであるのがなんとなく笑える。それ以外に特に語ることがない作品。だいたいこのシリーズは映画として見ると驚くほど見るべきところがなくて、それでも第一作ではいきなり宙返りとかしながら出てくる案山子男のビジュアルとか、第二作では案山子男対案山子男という見どころ(その対決内容の見るべきところのなさには驚嘆を禁じえないが)があったがこれは前二作と比べても恐ろしく見るべきところがないというか。案山子男に殺された人がおなかに内臓みたいなのをのせて寝転がってるところと最後に案山子男が手から電気みたいなのを出して、なぜそうなるのかまったく理解できない展開の末いきなり映画が終わるところは一見の価値あり。よほどヒマなら。
爆笑度 ☆☆
バイオレンス度 ☆
発狂度 ☆☆
怪奇度 ☆
男泣き度 ☆
追記:一番大事なことを忘れていた。これにはケン・シャムロックが案山子男にスリーパーで絞め落とされる役で出演しています。最近見かけないと思ったらこんなのに出なければならないほど生活が切迫しているのだろうか。まあ生きて元気な姿が見れるだけでいいか。

ソウ3

「殺してやる!このくそアマ!」という心のこもったセリフで幕をあけるこの映画は、その幕開けの言葉にふさわしい心のこもったドラマが終始展開されます。つうかいいかげん内容が残酷すぎて見ていてうんざりした(笑)1は「はぁ?」って感じで一生忘れない名作だし2も個人的にはけっこう好きというか、バランス的には2がベストなんじゃないかと思うが、これはいいかげんにしろという感じというか。一応、意外な真相的なものも用意されているが、登場人物の頭の中でのみ物語が構築されるので見ているこっちは「はあそうすか」といった程度の感想しか出てこない。
というかおれはキチガイが豪快に人をブッ殺す映画は好きだが、リアルに痛みが伝わってくるようなのはあまり好きじゃないんだよな。おれですら嫌気がさしたほどのこの映画、普通の人は見てどう思うのだろうか。大丈夫か。とか思ってたら職場の若いのが「ソウ3最高っすよ!あの人の体ねじ切る機械超笑えますよ!」とか言ってた。頭大丈夫か(笑)
それでも映画としては単純に面白いですよ。これ作った人のこのシリーズ以外の映画が見てみたいかも。
爆笑度 ☆☆☆
バイオレンス度 ☆☆☆☆☆
発狂度 ☆☆☆☆
怪奇度 ☆☆☆
男泣き度 ☆

グエムル 漢江の怪物

すさまじいバカ映画らしいという噂を聞いていたが実際見るとすさまじく泣けるバカ映画だった。全編を通して変に笑える雰囲気と物悲しい雰囲気が同居している。そうペーソス。最近とんと聞かなくなったペーソスという言葉がこれほど似合う映画は近年みかけない。
これは昭和というか70年代のギャグ漫画の雰囲気なんじゃないでしょうか。山上たつひことか赤塚不二男の漫画に変換してみるとよく似合うような気がする。合同葬儀の場面とか赤塚不二男そのまんまでは?おれの頭がおかしい?
「狩りは飢えたものの特権」という言葉がこの映画の裏テーマな気がする。全体に貧乏な雰囲気が漂うこの映画だが、韓国ではこの貧乏さが観客にリアリズムをもって伝えられるのだろう。偏見っぽく見られるかもしれないが韓国のイメージというのは個人的に70年代の日本に現代のテクノロジーが同居しているというものであって、この映画を見る限りそれは間違ったイメージではないみたいだというか、「ミスター70年代」の異名をもつわたしにとってそれはむしろ理想郷なのでこれは悪口ではない。むしろ韓国に住みたいくらいだ。だからこの映画は貧乏が身近でリアルで決して悪いことではなかった、貧乏が普通だった時代の日本の雰囲気を感じさせるわけですね。ミスター70年代の心の琴線に触れるわけですね。
みんなでカップラーメン食べる場面が一番好きかな。怪獣君が全力疾走して逃げまどう人々を追いまわす場面は死ぬほど笑える。あと最後に出てきて大活躍するホームレスが気になる。これはいい映画だ。
爆笑度 ☆☆☆☆☆
バイオレンス度 ☆☆☆
発狂度 ☆☆☆
怪奇度 ☆☆☆☆
男泣き度 ☆☆☆☆☆

訃報がおおすぎる

クリス・ベノワ事件の衝撃もさめやらぬ昨今、プロレスラーの訃報があいついでおります。神様カール・ゴッチに続きキラー・トーア・カマタ、ジョン・クローナスの死去が今週の週プロで伝えられている。神様やカマタは年齢を考えればある程度仕方ないにしても(カマタはそれでもちょっと若いかなあという感じだが)クローナスは若すぎる。非常に優れたレスラーだったのにECW消滅後はほとんど仕事がなかったというのも寂しい。しかしそれにしてもこの年代のプロレスラーの死亡率は明らかに高すぎだ。特にECW系。人知れず他界されている方も少なくないのではなかろうか。クローナスの相方のペリー・サターンが消息不明というのも気になる。どうしてもモッピーが印象的でペリー・サターンといえばモッピーが真っ先に思い浮かんでしまうのだがつい最近まで日本にも来ていた。見つけ出してどこか呼んでくれないものだろうか。彼も真に優れたレスラーだ。
プロレスラーの早死にについては、過度な受け身の取りすぎによる免疫力の低下や、慢性的な負傷部分の痛みと鎮痛剤の使用からくる心身面への悪影響、長期のツアーや海外行ったり来たりの生活などが原因といわれている。実際にそういうものはあるのだろうが見ているこっちとしては君たちは健康に悪いからそういうことはやめろと言うわけにはいかない。実際プロレスラーでなくても何をしていても体や精神に悪いことはありえるわけだし誰もが健康や精神への悪影響を受けずに楽しく生きられたらいいがそんなことは不可能だ。彼らは多分主に観客を満足させるためにやっているわけだから、こっちとしてはそれを楽しんで見て満足度を何らかの形で伝えるくらいしかできることはない。見かけなくなった人がいたら「あいつ、今どうしているんだ?」と少しは気にかけてやれば、もしかしたら何らかの形でその人物にとって助けになるかもしれない。だからこういうことを書いているというわけでもないができることといったらこういうことしかないのだなあと思った。ジョニー・ザ・ケツ割れ・ブル・スタンボリーって今どうしているんだ?
キラー・トーア・カマタについても少し触れておく。カマタといえば名前の勝利というか、なんか蒲田に対して変なイメージがわたしの中で固まっているのは彼の功績が大きいかもしれない。ブッチャーとキャラがかぶるがブッチャーより動きはよかったしプロレスができたと思う。動けるデブの草分け的存在か。動けるデブの革命的存在はザ・ヘッドハンターズ。「パパー」で名高い彼らも今どうしているのだろうか。
プロレスラーではないが存在がプロレス的というか偉大な作詞家の阿久悠も先日死去。ピンクレディーやジュリーなどの狂った歌詞はだいたい阿久悠が書いていたし、70年代のアニメや特撮の有名作品はほとんど彼の手によるものだった。阿久悠の書いた特撮やアニメの歌詞は、主人公の強さや勇気を称えるというより、なぜ戦わなければならないかを語ったものが多かった。作品のテーマや設定を短い文章で明確にあらわした歌詞には今見ると改めて驚かされる。阿久悠の死去により、つくづく日本は惜しい時代をなくしたものだと感じさせられた。